something black 黒中毒のワードローブ
毎日、黒を身につけています。
だいたいとかではなく、ほぼ毎日。全身黒ではないものの、something blue(結婚式で、何か青いものを身に付けると幸せになるという言い伝え)ではなく、毎日、something black。
必ずどこかに黒があるので、知り合いからは、「今日も黒いね〜」と言われる始末。
みんな縦横無尽に色とたわむれているのに、わたしは勝手に自主規制をして、勝手に不自由になっている。「なんて損しているんだろう、脱黒!」と思うこともあるのに、紺でも、なんとなく物足りなく感じてしまう、筋金入りの黒中毒者です。
小学生の頃は、BeBeを着ているハイカラな同級生に憧れ(わたしはハレの日用にたまに買ってもらえるかどうか、だった)、中学生では、黒のタートルの出番がすでに一番多かった。
以来30年、冬に黒のタートルを欠かしたことはなく、黒に依存して過ごしてきました。
あまりに黒なので、たまには茶系の服を買おうかと試着したりするものの、せっかくだしと、黒も試着してみると、どうにも黒のほうがしっくりくる。
お店の人も、「黒のほうがお似合いですねー」 なんて言ってくれたりして、ますます黒に対して一方的に信頼感を募らせていきました。
黒との付き合い方を考えさせらる、川久保玲と高橋峰子
ただ最近は、ミニマリズムの流れか、時代の空気か、「黒」があふれ過ぎ、少々食傷気味になっているのも事実。
子どもの服を買いに行っても普通に黒が売っている。昔は黒などあまり用意されていなかったのに、BeBeくらいだったのに。。。便利な時代になったと思う反面、子どもはこの時期にしか似合わないような色を着て欲しいなあと、寂しい気持ちも残ったり。
そんな黒に対する思いをぼんやりと感じていた頃、朝日新聞のファッションページにパリコレの総括が掲載されていました。
記事によると、コムデギャルソンのデザイナーの川久保玲が、黒が多い世の中に異を唱えて、今季は黒を使わないと明言しているという。ギャルソンといえば、黒。黒の衝撃と言われたのに、「fighting black with color」!
「色の抵抗」にギャルソンの真意を見るーーCOMME des GARÇONS HOMME PLUS 2020AW
そして、また今月の新聞には、黒と真珠を愛した昭和のファッションリーダー高峰秀子の「おしゃれの流儀」の紹介がされていた。
以下、黒に対する、秀子の言葉。
「人生の雨風をくぐった年輪を、黒一色で生かすか殺すかは、その人のセンス一つである」「黒を着るのは、ちょっと “かくご” のいることである」
という、これまた黒に対して強い思いにあふれた言葉。
わたしといえば、なんとなく似合うから、合わせやすいから、間違いないから、と消去法的に、ある意味、自動的に黒を選んでいることもあるし、
黒の持つ強さにどうしようもなく惹かれて、「このパターンの服には、この黒!」と興奮して、黒を選ぶこともある。
これから歳を重ねると、見た目の変化とともに、黒との付き合い方が、変わるのかもしれない。母は、グレイヘアになって、やっと黒が着れると言っていたりするので、さらに黒寄りになるのかもしれない。
が、今は、なんとなく、いつもより黒と距離を置いてみようと思う。
相変わらずsomething blackではあるものの、黒の分量をいつもの年よりちょっと少なめにしている。自分にしか分からない程度の変化だけど。
ギャルソンと高峰秀子 の言葉の後に、自分の服を載せるのは甚だ恐縮ですが、最近はオールブラックにならないように意識。とはいえ、青が入っただけの印象。。。