予算設定の呪縛
ある商品に対して、勝手に予算を設定をする癖がある。
夏なら、きゅうりは3本で150円までで、198円になると買わない、とか
子どもの靴下は一足300円までとか、大皿以外の器は1枚2500円までとか。。
きゅうりの「価格設定」の根拠は、安い時で3本100円なのだから、5割増しの150円くらいまでが妥当な感じ、198円になると、2倍の値段なんて!という「漠然とした割高感」を感じるからパスという、あくまで「なんとなくなイメージ」でしかない。
じゃがいもは1袋198円、なすも3本で198円、など10年以上も主婦業をやっていると、そういう数字は自然と身についてしまっている。
198円のきゅうり、298円のじゃがいも。高いか安いか
そして、この夏。野菜は軒並み値上がりした。
きゅうりは、高いと感じる198円になっている。 さて、198円だと1本当たり66円。
なんとなくサラダの添え物くらいの用途の場合、66円だと高い感じがするけど、冷やし中華になると、きゅうりがないと寂しいので、66円でも妥当な感じがする。
この夏、じゃがいもも、いつもと同じ量で100円増しの298円だった。
わたしの中で「適正」価格ではないと思って、しばらくじゃがいもは買わずに、普段とあまり値段が変わらない山芋を買っていた。
とはいえ、298円のじゃがいもの可能性を考えた時に、1袋あれば、ポテトフライにしたらけっこうな量だし、ポテトサラダでもいける、茹でてマヨネーズかけただけでお腹も満足。。
山芋より(我が家では)じゃがいものほうが用途は広く、単なる割高感の「イメージ」に縛られて、不自由な状態を勝手に招いている・・?
5人家族のわが家では、こうした100円増の積み重ねは、1回の買い物で500円くらいになるとして、週に2回の買い物で、一月あたり4000円増。
確かに値上げはしているが、それでメニューの幅をせばめて生じる労力を考えると、やはり微妙な感じがしてしまう。
家計簿の帳尻合わせをする以上に、冷静に商品と向き合う時がきた
皮膚感覚で染みついていてる食費は、月々だいたい同じくらいで推移している。
もっと言えば、ほとんどの生活費が+-
各項目について毎月の予算を設定していて、月の終わりになると、予算が超えそうな項目は、来月に回したりという(衣服費が今月は出そうだから、子どもの靴は来月にしようかなといった感じ)、姑息な帳尻を合わせをしたりすることもあるけど、そういう苦労をしなくとも、家計簿の数値は平均値を大幅には超えないようになってきている。
それは、商品に対して適正価格を設定することで、そこを超えるものは「うちにとっての高級品」として選択肢から排除してきたことが、功を奏しているわけだけど。。
きゅうりは66円でも適正な時もあるし、
服飾品や身の回りのものの「高級品」は、丁寧に作られたものは手間と時間がかかり、結局は長く使えて減価償却的にはむしろ安くなったりもする。
40歳を過ぎて、これまでの慌ただしい物欲が、
家のものは一通り揃ってる。着るものも、
物が少なければ管理がしやすい、
そこそこの値段で多くのものに囲まれるよりも、予算も大事だけど、本当に欲しいものと向き合ってもいい頃合いが、きたのかも。
そして、どんなまな板を買うか
そんな中、夫から、「野菜に、まな板の黒いブツブツ(剥がれた跡?)がつくんだけど・・・」。
うちで使っているのは、新婚当時に購入したエピキュリアンの黒。
そう言われれば、2枚のうち1枚がかなりくたびれてきている。