「阿修羅のごとく」のテーマ曲が頭に鳴り響く
向田邦子は容赦ない。
NHKオンデマンドでドラマの「阿修羅のごとく」を一気に視聴した。
恐ろしいなと思ったのが、パート2の第1話の母の形見分けのシーン。
パート1は、昭和の良妻賢母を絵に描いたような母が、父の浮気相手のマンションの前で倒れて亡くなったところで終わり、パート2は、残された父が寝タバコでぼやを起こすところから始まる。
娘である4姉妹が駆けつけ、高齢の父に「一人では危ない、誰かと住むべきだ」と深刻に迫った後に、無邪気そうにジャンケンで形見分けを始める。このあたりの女の切り替えの速さ、棚上げする感じ、さすが向田邦子と観賞していたら、凄いのはここからだった。
母の形見分けの着物を選ぶ姉妹。「これはずっと狙っていた着物だ」なんてかしましく、しかし抜け目なく品定めしていく。母がきれいに継ぎをしている着物の始末の良さなどにも惚れ惚れし、感傷に浸っていると思いきや、着物が収められた箪笥の底から、なんと春画が出てくる。
母親の時代は嫁入りの時に親が春画を持たせていたと推測する娘たち。
貞淑な母の遺品を整理していて春画を出してくるこの描写。人間の、どうしようもなさ、情けなさ、あらゆるものが浮き彫りになる。
人間はどうしようもなく多面体で、いろんな要素で構成されている。平然とした顔の下に渦巻いている嫉妬、愛憎、欲、まさに阿修羅のごとく。。。。
そんな重要な局面は、テーマ曲(トルコ軍楽「ジェッディン・デデン」)とともに役者の顔がアップになり、結論はなく無言のままフェイドアウトしていく。
そうなると、視聴者は勝手に想像するしかない。こちらに結論を委ねられているから、ひたすら余韻に浸れてしまう。
あの時代の風吹ジュンのかわいさは恐るべきものだし、いしだあゆみの硬くとがった表情も捨てがたいが、なんといっても八千草薫の平静を装って、ひきつって笑っている顔が残像として頭にこびりついている。
少しとぼけた雰囲気の管楽器の音で始まるテーマ曲は、執拗に流れる(確認していないけど、10分に1度は流れてくる印象)。このテーマ曲、どのテーマ曲よりも効果的で、こちらもひたすら耳に残っている。