衣食住の実験ノート

衣食住や育児にまつわることを、いろいろ試して、考察しています

新しいコートに灯油


今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

セールで20%オフになっていた、一週間前に買ったコートを着て、灯油を補充しに出かけたのは、寒波が到来した土曜の夕方。“灯油の給油”と“新しいコート”の相性が悪いのは、わたしにも分かっていました。

なのですが、寒波でコロナで三連休なので、新しいコートでも着て、気分をちょっとでも盛り上げたい衝動に駆られたわけです。灯油の他に、近所とはいえスーパーと本屋さんにも寄る予定だし。

 

本屋の近くのガソリンスタンドは、セルフ給油形式で、ガソリンのセルフは慣れているものの、そういえば灯油のセルフは今回が初めて。でも、まあ給油なので要は同じだろうと深く考えずに給油を開始。直後にノズルがタンクにちょっと入りすぎている?ような気がして、角度を変えようとしたその瞬間、灯油のポリタンクは倒れてしまい、あたり一面に灯油がぶち撒かれてしまいました。

お店の人に平謝りし、申し訳ないとは思いながらも、コートになるべく灯油がつかぬよう腕を不自然にあげながら、新聞紙を片手に灯油を拭きました。客観的に見ると、きっと滑稽な体勢だったろうと思います。

 

ガソリンスタンドの暗がりでは、なんとなくコートにはかかっていない気がするし、このガスリンスタンドには迷惑料がてらちょくちょく通おう、なんて思いながら作業を終えると、

ダークブラウンっぽい色味のコートなので、単に視認できなかっただけで、きちんとシミは付着しておりました。しかも、「ぶち撒かれた」感じが具現化されているような、勢いのよい小さな点々が散らばっている。。

幸い裾のほうなのであまり目立たないものの、どうにも灯油の匂いが漂います。

 

すぐさまスマホを出し、「灯油 落とす 服」などで調べると、自力で解決するには「クレンジングオイル」という結論の模様。クレンジングはジェル派だしオイルは持ってないし。。いやいや、そもそもコートだし、ホームクリーニングは危険!と脳内で突っ込みをいれながら

馴染みのチェーン店のクリーニング屋さんにすぐさま持っていき、

「なんとかなりますか。灯油ぶちまけてしまって!」

「以前、Yシャツでもやったので大丈夫よ、多分いけるはずよー」

 

このクリーニング屋のおばちゃんスタッフは、服をなるべくいい状態にしようと努めてくれるので、以前から好感を持っていました。ビッグマウサーなタイプではないし、経験に裏打ちされたその言葉、安心できる〜。

 

「お任せします!よろしくお願いしまっス!」と過剰に意気込んだ挨拶をした後、

「ちなみに、買ったばかりで。。なので、何卒!」といやらしく念押しまでしてしまいました。

 

この灯油をぶちまけた行為にも、すぐさま対応できるわたし(クリーニング屋さんに持って行っただけとはいえ)。さらに言えば、「買ったばかりのコートに灯油事件」でも、(クリーニング屋さんが引き受けてくれたとはいえ)、あまりショックではなく、「人生そういう馬鹿なこともあるさ、いやもっと悲惨なこともあるしねぇ」と片付けられるわたし。そして、家族にネタとして振る舞いさえできるわたし。この一連の流れ、もしやけっこう大人。。?

 

一般論でいくと、そのあと大人とは、「そそっかしいとロクなことにならない」と学び、落ち着いた行動を心がけるはずです。しかし、わたしはまた同様の振る舞いをするでしょう。

「そこで学習効果がないのにどこが大人なんだ?」という突っ込みの効力が失われるくらい、この分野では経験値を重ねてきました(=日々せっかちで損している)。

人間はなかなか変われないし、そこで戦うのはもう諦めようという境地に至れるようになり、そして諦めるのは負けではない!ことも学んでいる、わたし。

これはいわゆるオバさんの定義とイコールなのかもしれないけど、自分の首を締めずに機嫌良く過ごせてる、って大人〜。10年前はイライラして自己嫌悪で怒っていただろうなぁ。

 

最終的に、「大人とは、おろしたてのコートで給油をする馬鹿な自分も許してあげられる感じ」と結論づけて、コートは今日の夕方にクリーニング屋さんに取りに行きます。

 

「“多分”とれるでしょう」、なので、“絶対”ではないわけです。

取れていない時も、こんなに穏やかでいられるのか、そこでまた「大人度」が試される気もします。

 

f:id:apronron:20210113152329j:plain

  大人になってから、あんこが好きになりました。こうやって小豆を煮ていると、

    大人に…いやお婆ちゃんに近づいている感じがしなくもないです。